一年前のこの時間は避難所にいました。
会社から歩いて帰宅し、家まであと一駅分、というところで通行止めに遭い
「この先は津波で通れないから、避難所に行きなさい」と言われ、そこで初めて津波が
来たことを知ったのでした。
は?津波...?こんな海から離れた場所でなんで津波なの??というのが第一印象。
避難所に行け、と言われても、家、もうすぐなんだけど、、、と思って、避難所に行くか?
津波を突っきって家に帰るか?としばらく迷っていました。
(津波の威力を全然分かってなかったので、道路が冠水しているんだくらいに思って、本気で
水に入っていこうと考えていたのでした)
けど、周囲の人たちが「あそこらへんは胸の高さまで水があるらしい」とか、「あそこのコンビニ
あたりはめちゃめちゃらしい」とか、「車が山のようになってて通れないらしい」とか、家のすぐ
近所について話しているのが聞こえてきて、それがどんな状態なのか、私の頭では想像不可能
だったけど、とにかく危ないのかもしれない、と思って、迷いに迷った末に、半泣きになりながら、
避難所に行ったのでした。
避難所の窓の外は真っ暗で、遠くの火事の空だけが明るくて不気味で、家とは連絡取れないし、
ラジオでは『若林区で200名近くの遺体を発見』とか言ってるし、、、
いったい何が起こっているんだろう?家はどうなっただろう?と怖くて、眠れませんでした。
もの凄く長い夜がやっと明けて、津波の後を家に向かって歩いた時に、津波を突っきって行こうか
と考えてた自分の甘さを知りました。通行止めになっていたのは、水があるとか無いとかでなく、
瓦礫で道路が無かったからだったんだ、と。爆撃されたみたい、焼け野原みたいな風景だ、
(
爆撃の後を見たことはないのですが)瓦礫を乗り越えながら思ったのでした...
あれから一年。でも、あの怖さは忘れることがありません。
区切りだとか、節目とか言われてもピンときません。あの震災の、去年の大変な春のことは、意識に
すり込まれてしまったというか、何をするにも基準点のようになってしまいました。
自分の日記を読み返してみても、「震災以降初めて...」とか、「震災の時は...」というの
ばっかり(笑)まだしばらくそうかも。
一年経ってもあいかわらず言葉がまとまらない
今もなお行方のわからない方々がいらっしゃいます。早くご家族の元に帰れますように...